♪エリーゼ音楽祭参加者様の白川妙子様が「随筆春秋エッセーコンテスト」で入選♪

投稿者:|カテゴリ:お知らせ ブログ|投稿日:2021年7月30日

いつもありがとうございます!

エリーゼ音楽祭の参加者様の白川妙子さんが「随筆春秋エッセーコンテスト」で入選されました!
音楽に対する思いを共有出来るかと思い、エッセーを掲載させて頂きます。

私の「エリーゼのために」白川 妙子(埼玉県)

「先生『エリーゼのために』を弾いてください。」最前列に座った患者さんのリクエストです。病院で働く医師である私は、患者さんと一緒に音楽を楽しみたくて、時々病棟でピアノを弾いたり、一緒に歌ったりしています。その日も所謂「難しい」ピアノ曲をいくつか弾いた後にそう言われて、正直、私は拍子抜けしてしまいました。技術的にはさして難しくもなく、子供のころさんざん弾いた曲です。(えっ?「エリーゼのために」って、そんな簡単な曲でいいの?)だけどそれ以来、この曲は毎回リクエストされるようになりました。他のどんな曲を弾いても、難しい曲を頑張って弾いても、一番喜ばれるのは「エリーゼのために」なのです。ある時はリクエストしてくれた患者さんが、隣に座った人にこう話しているのです。「うちの娘も昔ピアノば習いよってですね、『エリーゼのために』も弾けるとですよ。この曲は難しかとです。これば弾けるようになったら、本当に上手になったっていう証拠ですよ。」と、と得意げです。「幼かったわが娘がこんな難しい曲まで弾けるようになった!」と喜んだ、その思い出が彼女を笑顔にしているに違いありません。またある時、寝たきりの患者さんの病室にキーボードを持ち込みました。今はお話もあまりできませんが、もともと音楽がお好きだった方です。「トロイメライ」、「ショパンのノクターン」そしてもちろん「エリーゼのために」。それに「青い山脈」や「リンゴの唄」など、この年代の方の愛唱歌も加えて何曲も弾きました。ご本人はもとより、奥様がことのほか喜ばれました。その少し後、「携帯電話使用可」のエリアから奥様の弾んだ声が聞こえてきます。「もしもし、今日ね、白川先生がお父さんの病室で『エリーゼのために』を弾いてくれなさったとよ、、、」娘さんに報告しておられるところでした。弾いたのは「エリーゼのために」だけでありません。だけど彼女は何度も繰り返すのです。
「先生が『エリーゼのために』を弾いてくれなさってね、お父さんもとても喜んでね、」と。看護師長さんのお誕生日の日も病棟ロビーでピアノを弾きました。あいにく師長さんは会議中。「エリーゼのために」を弾きながら患者さんたちと一緒に師長さんを待っていると、少し離れたところに静かにたたずむ師長さんの姿。会議資料の書類を抱えたままです。私はそのまま弾き続けました。曲が進むにつれて、師長さんは書類を落とさないように気を付けながらも、何度も目元に手を当てているではありませんか。「エリーゼのために」が終わった後、間髪を入れずにみんなで「ハッピーバースデー」の大合唱です。師長さんの涙は本格的に大粒になりました。夕方、師長さんからメールが届きました。「白川先生、今日は本当にありがとうございました。私にとってとても思い出深い『エリーゼのために』を誕生日に聞けるなんて思ってもみなかったので、感動のあまりつい涙してしまいました。」「エリーゼのために」、なんという偉大な曲でしょう!多くの人がそのメロディーを知っていてなじみ深いというだけではなく、大切な思い出にこれほどまで深く結びついているのです。大して難しい曲でもない、子供のころからさんざん弾き飽きたし、聞き飽きた、なんて思っていたのは、大きな間違いでした。ピアノは長い中断を経て数年前に再開したばかりなので、演奏技術は全く自信がありません。それでも「お医者さんが白衣を着たままピアノを弾く」というだけでとても喜ばれるので、迷いながらも続けていたのです。だけど「こんな演奏でいいのかしら?独りよがり?自己満足?」いいえ、「自己満足」さえありません。そんな中「コンクールに出て客観的な評価を受けてみたらどうかしら?」そんな気持ちが次第にわいてきました。長女も強く勧めてくれます。ネット検索してみたところ「エリーゼ音楽祭」というものを見つけ出し、応募することにしたのは昨年一月のことでした。「『音学』ではなく『音楽』を」、「他人との比較ではなく自分らしい表現を」というコンセプトに惹かれたからです。「プラチナ部門」にショパンの「ノクターン作品9の2」でエントリーして臨んだ六月の神戸予選、様々なレベルの人が本当に楽しそうに演奏していて、コンクールというよりまさに「音楽祭」です。なかでも「エリーゼのために」が課題曲となっている「エリーゼ部門」に私は大変な感銘を受けました。あこがれのこの曲を是非弾きたい、やっと弾けるようになった、という人が何人も熱い思いを込めて挑戦していたのです。やはりこの曲は多くの人達にとって特別な存在なのでしょう。その姿を見て私は病院での経験を思い出していました。そうです。「エリーゼのために」は患者さんたちにとっても一番心惹かれる大切な曲だったではありませんか。「この素晴らしい曲に、もう一度真剣に向き合ってみよう。」私がそのような気持ちになったのはごく自然なことだったかもしれません。十月の九州予選の「エリーゼ部門」に応募書類を提出したのは数日後でした。確かにテクニック自体はさほど難しくありません。私も一通り弾けるようになったのは小学生の頃でした。だけど、あらためて向き合ってみると、今まで思っていたものとは全然違う姿が浮かび上がってきたのです。半音の上下で始まるあの超有名なメロディー、左手にさえぎられて細切れに弾いていましたが、実は息の長いひとつながりのフレーズであることに気がついたし、左手で奏でる上行形の分散和音は、ごつごつと弾いてメロディーを分断するのではなく、滑らかにメロディーにそっと添えるようにしないといけません。音符だけでなく強弱記号、スラー、アクセント、その他楽譜に書いてあることをすべて丁寧に丁寧に読み込んでいくと、ベートーヴェンが描こうとしたこの優雅で可憐な曲の輪郭がぼんやりと見えてきました。毎日毎日、少しずつ少しずつ、その輪郭は次第にはっきり現れてきました。そして練習を重ねることによって、その見えてきたものを音で表現できるようになってきたような気がしてきました。練習を始めて三か月余り、福岡予選は無事通過、十一月の本選に進むことになりました。本選の数日前には、楽譜の向こう側に、森に静かに佇む女の子のはにかみがちな笑顔が浮かんでくるようになりました。そこは数年前に訪れたウィーンの森のようです。女の子はドイツに住んでいたころに長女の同級生だったウタちゃんになんだか似ています。いよいよ東京の本選です。やはり緊張します。私は、雰囲気にのまれそうになりながらも「ウィーンの森でほほ笑むウタちゃん」の面影を「エリーゼのために」に重ねました。少し後悔の残るところもあったものの、全体としてはしっとりとした良い演奏ができたのではないでしょうか。審査の結果、「エリーゼ部門」では金賞、しかも「エリーゼ大賞」、つまり、部門優勝です。なんということでしょう!生まれて初めて挑戦したコンクールで「全国優勝」したのです。こんなにうれしいことはありません。確かにこの曲は高度な技術を要するものではないかもしれません。だけど、私がピアノを弾く理由は「患者さんに笑顔を届けるため」です。その患者さんたちが一番好きな「エリーゼのために」で、しかもテクニックを競うのではなく、いかに自分らしい表現をするかを問うコンクールで優勝できたのです。これこそ、私が最も誇りとしうる「勲章」ではないでしょうか。この経験は私にとって思った以上に大きいものでした。自信がなく迷っていた私ですが、とても積極的な気持ちになれたのです。「このまま続けていこう!音楽を患者さんと一緒に楽しみたいから、患者さんの笑顔が見たいから、自分のできる範囲でピアノを弾き続けよう。楽譜を丁寧に読み、練習を重ねることによって見えてくる世界、もしかしたら作曲家たちがこっそり私に教えてくれる世界をそのまま再現すればいいのかもしれない。」それから後ピアノを弾く度に、その場の空気感が以前とは全く違うことに気が付きました。どう表現すればいいのでしょう、ピアノとその周りで聴いてくださる方を包む空気がすっぽり切り取られて別の世界のものになる、とでも言ったらいいのでしょうか。この前もそうでした。今年の三月の終わり、高齢者施設に往診した時のことです。診察が終ってすぐに、私は玄関ホールのピアノを弾かせてもらいました。十人ほどの方に囲まれて弾いたのはやっぱり「エリーゼのために」。メロディーが流れ始めるとすぐ空気の色が変わり始めました。私は曲の世界を出来るだけ丁寧に描こうと、とても集中して弾き進めました。すると聴いている方々の心の波動がそれに同調してくるのです。それはうねりとなって背後から私に伝わってきました。そうするとそれに押されて、私の指はなお一層よいものを紡ぎだせるのです。ピアノ、弾いている私、聴いている人たち、まさに一体となって不思議な力を創り出し、これまでに弾いたことも聴いたこともない、魂の震えるような「エリーゼのために」が描き出されました。これはいったい何なのでしょう。盛んなアプローズを受けながら、私は不思議な感動に包まれていました。ベートーヴェン生誕二百五十周年のこの年、まだまだこの曲に向き合いたい、多くの患者さんに届けたい、そう思いながら施設を後にして病院への帰り道、ふと見上げると桜の蕾が膨らんで少しずつほころび始めていました。

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